イギリス人は本当のティーパーティーを知らない

ティーパーティー、お茶会に最も必要なものと言えばなんだろうか?


頭がとろけるほど甘いお菓子?心がときめく可愛いティーカップ?誰もが目を引く高いケーキスタンド?


どれも午後の一息を彩る上で、あると心が豊かになるけれど"最も必要なもの"ではないだろう。



ティーパーティーに最も必要なもの、それは小倉唯である。



彼女さえいればティーパーティーは成り立つ。小倉唯の前ではティーパーティーの主役であったはずの紅茶でさえ存在価値を失うのだ。



彼女が登場したその瞬間、ティーパーティーの幕が上がる。人類史上最も美しい足を剥き出しにした衣装を纏った彼女が姿を見せたその瞬間、同じ空間にいることに罪悪感を覚えるほど、遠い存在に感じられた。


彼女が話し、そして聞く。その時の横顔ほど完成されているものはおそらく世界中探しても見つからないだろう。小倉唯の前では万物が未完である。


彼女の視線が自分に向いた時、身体が不具合を起こしたのかと思うほどに鼓動が早くなる。僕の心臓は小倉唯に壊された。きっとそれはどんな治療を受けても治ることはないだろう。この世には治らない方が正しい病だって存在するのだ。


彼女は歌い、そして踊る。自らの想いを乗せたその歌は、自ら考えたその踊りは僕らの心と身体に響き渡る。その姿を目にして恋に落ちない者がいるだろうか?

恋とは目で見るものでも心で見るものでもない。小倉唯が見せるものである。


本当は寂しく、心が痛くなる筈の別れでさえ彼女が見送るだけでそれは何よりも心躍る時間となる。遠い存在だと思っていた小倉唯がこんなにも近くにいる。それだけで人の心は救われる。


寒い時は小倉唯が暖めてくれる。

暑い時は小倉唯が涼ましてくれる。

落ち込んでいる時は小倉唯が元気付けてくれる。

気持ちが高ぶっている時は小倉唯が落ち着かせてくれる。


いつだって小倉唯は僕らのそばにいる。

困った時や苦しい時、逃げ出したい時に答えは必ず小倉唯にある。後ろを向く前に小倉唯を見よう。その後に向いた方向がどこであったとしてもきっとそれは正しい決断となる。小倉唯を信じることを人は正義と呼ぶ。


P.S. ティーパーティーの詳しい内容は伏せるように言われましたので内容に触れないよう書きました。改めて推しが一から手掛けた"手作り"のシングルであるということを認識できた素晴らしいイベントでした。衣装もメイクもめちゃかわキュートでILOVEYUI!!ということで締めさせていただきたいと思います。